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創価仏壇店長・第91回YouTubeライブを終えて〜目の前の人を大切にする「人間」としての信仰〜

91回目のYouTubeライブ、無事に終了いたしました! 2025年9月5日土曜日。孫たちが泊まりに来てくれたので、いつもより少し早く題目を終わらせました。

目の前の一人を大切に

孫たちがいる中で、彼らを無視してお題目を唱える。それは、決して彼らに信仰を継承する姿ではないと私は考えます。そのことを感じて即行動に移す判断こそ自身の信仰と境涯になります。そして、自分と接する家族や友人、そして周りの人々が、その振る舞いを通して私たちを評価していくのだと思います。

もちろん、誰かに評価されるために行動しているのではありません。そうではなく、私たち自身が地涌の菩薩として、お題目を唱えるとして、どう振る舞うべきか。そこには、深い使命と責任があると常々感じています。

人は「感情」で反応する〜御書に学ぶ生命の真髄〜

ライブでもお話ししましたが、人はまず「感情」で反応し、物事を捉えます。凡夫である私たちにとって、これは当たり前のこと。「御書」にもあるように、私たちの生命には地獄界から仏界まで、すべての境涯が一つも欠けることなく備わっています。そのすべてを含めて、私たちの生命は尊い「仏界」でもあるのです。

御書には「悪とはなにか」という問いに対し、「三障四魔」という考え方が説かれています。そして、特に衝撃を受けたのは、「魔は天界に住む」という一節でした。地獄・餓鬼・畜生といった三悪道に魔が潜んでいると思っていたのですが、そうではない。人界から見た時に、天界の生命状態になったその時に、十種類の第六天の魔が私たちの生命に現れるというのです。

これは、まるで人が急に変わってしまったかのように見える現象に通じるものがあると感じました。私たちの生命には、素晴らしい仏の境涯だけでなく、魔の働きもまた内在している。この事実を深く理解することが、自身の信仰を深める上で非常に重要なのだと改めて気づかされました。

「学会人だから」ではなく「人間だから」

私たちは「同じ学会員だから」「同じ信仰をしているから」という視点だけでは、本質を見誤ってしまいます。大切なのは、同じ人間として、この創価学会という場所で、御書に説かれる教学を学び、信仰を実践している、という捉え方です。

学会員であるからトラブルを起こさない、というわけではありません。人間である以上、様々な試練に直面することもあります。しかし、私たちが人間として創価学会に巡り合い、その信仰、教義、哲学を学ぶことで、自身の人生を宿命転換し、人間革命を成し遂げ、所願満足の人生を歩むことができる。

たとえ未熟な私かもしれないけれど、この信仰を貫き、様々な人生の困難を乗り越えていくことによって、宿命を転換し、その経験すべてに感謝できる境涯になれる。それこそが、創価学会の信仰の真髄であると、私は確信しています。

私たちは元々仏だったにもかかわらず、「元品の無明」によってそのことに気づいていないのです。地獄から仏界まで生命に備わっているということは、仏界になったからといって地獄界が消えるわけではなく、十界互具の法理の通り、常にそれらが内在しているのです。

大聖人仏法に込められた慈悲と智慧

日蓮大聖人の仏法は、大聖人ご自身が生命と向き合い、深く研究し尽くしてたどり着いた大切な法理です。それは、大聖人の弟子と門下に御書として伝わり、そして御本尊として表され、末法の私たち広宣流布のために残して頂けたのです。

目の前の出来事に、そして目の前の人に、真摯に向き合うこと。そこに、私たちの信仰の真価が問われている。今回のライブを通して、改めてそのことを強く感じました。

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